緑と環境セミナー:講演録(岩手県知事 増田寛也)その1

ここでは、平成12年11月2日(木) に開催された「緑と環境セミナー」での岩手県知事 増田寛也氏の講演録を掲載いたします。


環境首都の実現を目指して

「環境首都」の実現を目差して」
ご紹介いただきました増田でございます。
本日は「緑の相談室」の開設を記念して、いろいろご関心のおありの方々のセミナーということで盛りだくさんの内容でございます。
私の方にもお話がありまして、岩手県として「環境首都」を唱っておりますが、それについて話すようにと事でしたのでやって参りました。
このような場にお招きいただきお話しする機会を与えていただいたことに感謝申し上げます。
「環境首都」という言葉ですが、最近「首都機能移転」などといわれていますが、首都にもいろいろな意味がありまして、「政治上の首都」とか「経済上の首都」などです。我が国の場合は政治と経済が一体化されていますが、国によって分かれている場合が見られる事例もあります。
「環境首都」というのは、岩手県を環境の首都にしていこうということで、県の総合計画の柱です。
昨年作りました総合計画の中には三つの柱があります。
「環境と人と情報」です。その中の環境ですが、非常に広い分野でありますが、まず、我々県民が一人一人できることからやろうということで、行政としても同じ立場で始めようと考えております。
 本日はスライドを使いながら、お話しさせていただきます。

啄木歌碑
岩手県の環境問題を考える上での一番の出発点はこれだと思います
皆さんが石川啄木の歌碑ということでご存じのものですが、これは石川啄木が明治43年に詠んだ句であります。
明治43年、後ろに岩手山が見えますが大変清らかな北上川の流れです。
最盛期の松尾鉱山
これは、最盛期の松尾鉱山です。煙がもくもくと出ている写真です。大正3年操業開始で、戦前は東洋一の規模で硫黄の精錬を行っていたものです。
戦後、昭和30年頃から新しい技術開発により重油脱硫からの回収硫黄の出現により、急速に業績が悪化し、昭和43年に会社更生法の適用申請、昭和47年に休業・閉山となり、現在は廃墟だけが残っています。
このことが先ほどの北上川にどんな影響を与えたかというのが次の写真です。
松川と北上川
これは、昭和40年頃の写真で、左側の川が松川です。川が真黄色ですね。
右側の写真は、北上川本川との合流地点ですが、左側が松川、右側が北上川です。
真ん中の境目がはっきり分かります。松川は強酸性(pH2〜1.5)の水で下流では何回かお魚が浮き上がるとか色々と問題もあったようです。
松川の周りには水田が見えますがこれは昭和34年に灌漑用水が入りまして問題はなくなったわけですが、当時はまだ規制が緩かった時代といえます。
下流に大変な被害をもたらしたということで、鉱毒水の処理についてはかなり早い時期から意識はされていたようですが、その処理技術も炭酸カルシウムの粉末を1日に330トン、赤川にただ投入するというものだったわけです。
従って下流の四十四田ダムに沈殿物が堆積し新たな問題を引き起こしました。
新中和処理施設
そのため、恒久対策ということで中和処理ということになりまして、この写真は古い中和処理施設を壊し、新しい技術を取り入れて作った新中和処理施設ですが、実は、本来はこのような鉱毒水が出る場合、企業の責任で浄化しなければならないのですが、昭和47年に閉鎖となり会社も解散し、最終的には河川管理者である建設省で処理にあたることになったわけです。最初は河川管理者サイドで処理し、その後通産省など5省庁の協議で中和処理施設を管理運営しているわけです。
この中和処理施設は現在まで事業費として約200億円程度かかっておりますし、かつ、鉱毒水は雨水の流入で無尽蔵に出てきます。そのため、この施設は1日たりとも休まず、24時間、365日稼働しており、いま年間で7億ほどの費用がかかっております。これからも休むことなく運転し続けなければなりません。
いま、中津川に産卵のため鮭が遡上してきています。県外から来られた方々には感激をしていただいていますが、このようなすばらしい自然環境を維持するためには中和処理施設の運転なくしては考えられません。
鉱山の歴史、いろいろな施策の変遷を通してやっと昔の北上川に戻ったといえます。今後もこのような負担を後世の方々に引き継いでいかなければならないわけです。
いま5省庁で運営していますが、国の方は完全に逃げ腰になっておりまして、この施設もいずれ時期が来ますと更新をしなければなりません。そのときは相当色々な動きが出てくると思われます。場合によっては県だけでやらざるを得ないこともあるかと思います。
イギリス海岸
これは、花巻付近の北上川で、イギリス海岸というすばらしい景観の場所です。この景観を維持していくためにはこれからも大変な努力と費用を要します。
冒頭こういうことを申し上げましたのは、松尾鉱山は国策として重要な鉱山であり、それがひいては我が国の国力の繁栄に結びついたといえますが、ただ、長い年月、大きな目で考えますと、先ほどの中和処理は子孫の代まで続くものであり、一度自然にいたずらをすると、後世までずっとその負担が残っていきます。いかに事前に例えば環境アセスメントなどの仕組みがありますが、そういうことまで考えて、慎重の上にも慎重に自然に手を入れていかなければなりません。ただ単に、短期的な、局所的な費用対効果だけでは済まないといえます。
我々の社会的責任は次の世代にどれだけのものを残せるかということですが、次の世代の人達が、これだったら喜んで我々は負担してもいいですよという常識的な社会資本を残していかなければなりません。ただ単に、負担だけを残すことにならないよう、しっかり考えていかなければなりません。
その意味で岩手県でも環境指標を作っていくつもりですが、そのためには、まず、いままでお話ししたことが原点になろうかと思いまして、はじめに申し上げた次第です。

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