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この論文はマルモ出版社 『ランドスケープデザイン』第23号2001年3月号
の「時評」に掲載されたものです。進士先生のご了解を頂きまして、皆様にご紹介いたします。なお、最後に進士先生の著編書の一部を紹介しておりますのでご覧下さい。
また、この論文を読まれてのご感想等ありましたら、「緑の相談室」提案窓口よりお願いいたします。
(本文)
現代都市の人工的で巨大な画一的景観のつまらなさを払拭するにはどうすればよいのだろうか。
そこで私は、こんなことを夢想する。
ありとあらゆる開発整備事業に関わる土木、建築、造園工事に、以下のような制限を設け、これを法律で遵守させることにするのだ。
土木:敷地面積×0.3mの土壌しか掘削移動できない。せいぜい人力で掘り取ったり、盛りあげたりする程度の土量しか、大地を加工させない。原地形の尊重ともいえるし、ヒューマンスケールによる土の造成、造形の範囲で環境基盤を整えるという「大地開発倫理」を自らに科すということでもある。
建築:自然樹高(自然に生長した樹木の高さ)を木材の長さ単位とした広さと高さでしか建築を造ってはいけない。自然に育つ木は樹種により、従って国や地方で少しズレはあろうが、たとえば10mとか15mとすれば建物の単位は10×10,10×15,15×15以内で、高さも10から15m以内ということになる。この高さの建築は、周囲の屋敷林とも連続し敷地の使い方のモデュール(寸法)とも調子が揃う。こうすれば、マシンスケールの巨大ビルや高層ビルによる圧迫感も、また、人間が相対的に矮小化される卑下感をももたらさなくてよいだろう。どの家も連続し、調和共生するおだやかな町並形成が可能になることは言うまでもない。
造園:土量の移動制限は土木と同じ。樹木の移動は苗木のみとし、大木の移植は禁止する。樹種は郷土種、石材も地場産材のみに限定する。水はポンプによる循環(死水)や水道水(遠隔地からの水)の利用は禁止。敷地内での雨水利用を原則、せいぜい地下水利用までとし、自然流下を基本とする。また工作物、添景物を含めて一切の造園資材は自然循環素材とする。プラスティックは使わないものとするのである。
以上、何故こんなにラジカルなことを考えたのか。分かって欲しいのは、近代技術の放縦さへの反省の必要性である。重機の力に任せて山を削り谷を埋めることに何の疑問ももたなくなった土木技術で本当によいのかということ。本来の原地形の特徴を生かすことこそ土木の本質ではないのか。原地形の特性を最大限生かすためにも、若干の盛切しか認めないという原則に立つのだ。地形改変にもモラルがあるべきである。
永い人類史で樹上より高所に住まうことは一度もなかった人間にとって、楽して数100mを越えるスカイスクレパー(緑の相談室注 skyscraper 超高層ビル)に居住することが、生物学的に安心できる建築といえるのかどうか、ということである。20世紀フランスのある社会学者は、人間が安定していられるのは窓から樹木が見える高さまで、と言っている。だから材木の寸法が高さや広さのスケールを規定すれば、生き物としての人間にとっては安心できる環境が造られると思うのである。要するに技術的に可能ということと、実際に造るということは違う、それがモラルというものである。
造園においても、自然材、自然の緑、水、石、土の特徴を大前提とした庭園造りにこだわることが、本当の造園の良さを発揮できる筈で、正に、それぞれ'本当の'を追求することを第一義に追求すべきであると考える。
そのためには、できるだけ制約を科して頭をつかうよう提案したいものである。それは丁度、'建築様式'が確立していた時代こそ、緻密な、完成度の高い作品が誕生したことに似る。又、同様に条件があまく自由度が高い場合よりも、制約や前提が多く、これをクリアする形でこそ良い作品が生み出されてきたことにも似る。現代っ子の創造性減退が経済的豊かさにある、との認識とも共通する。
正に私の考えでは、前述した夢のごとき厳しい制約を科した上での創造活動にこそ、本物の土木、建築、造園を生み出す力があると思うのである。
欲しいものは外国から高いカネを払って手に入れる。問題は先送りしてでも新技術にとびつく。それが現代というもだと割り切っている。そうした考え方の危うさにだれも気づいていない。この集団思考が一番危険かもしれない。いずれにせよ、材料にも形にもスケールにも自ずと節度が求められ、節度の基本には'自然'があるということだ。
私の考えでは、厳しい制約やモラルがあれば、徹底してその土地の自然特性を把握して、これを活用し、合目的でありながら、地域特性を十分に反映した環境デザインが現出することになる筈である。
このように、完璧に近い「地域らしいデザイン」が、それぞれの地域地域に誕生できてくれば、全国、全世界には、その国、その地方独自の、土木、建築、造園、すなわちその総合像としての景観がいろんな地域に展開することになる。
その展開イメージこそ、私は「ダイバアシティ・ランドスケープ」と呼びたいと思う。
ダイバアシティとは多様性のこと。地球環境問題解決への課題のひとつ、「生物多様性」(Bio
diversity)のそれと同じ。私は景観にも多様性が不可欠だと言いたいのである。
近年、環境破壊、それは自然のみならず景観の画一化という環境の多様性や文化の多様性破壊も含めてであるが、そうした破壊をもたらしてきた建築界や土木界が、ある種の自己批判とこれからすすむべき道筋を確認すべく、又、社会と約束すべく「環境倫理」を公表しはじめた。
建築5団体は2000年6月1日「地球環境・建築憲章」を公表した。持続可能な循環型社会実現をめざして、@長寿命、A自然共生、B省エネルギー、C省資源、循環、D継承、の5点の目標を掲げている。土木界もいまこれを検討中でさらに詳細なものを目指している。
私の考えでは、こうした憲章の最終ゴールはバイオダイバアシティだと思う。多様性を担保するには、足元(地域)の自然に対応した自然共生、循環型の住環境をデザインし、住ライフスタイルを実現するのが基本だからである。そして、その地域毎の、地域にふさわしい'かたち'と'スタイル'の全体像、そしてそうした地域の集合体である国土、さらには地域の全体的目標像が「ダイバアシティ・ランドスケープ」(多様性景観)であるといってよい。
こういう言い方をすると、何か特別な新しいコンセプトのように聞こえるかもしれないが、私にとってはこの狂った現代以前の、ごく自然で、ごく当たりまえの、環境風景のあり方を主張しているだけである。
こうした、地域性、地場性の尊重は、これまで「アノニマス」(非作品性)、例のアーキテクチュア ウィズアウト アーキテクトのこと、そして「バナキュラー」とか「東アジア的」。また私自身の提案『ルーラル・ランドスケープ・デザインの手法』(1994,学芸出版社)などと形を変えて論議されてきたように思う。ただ、それぞれきわめて部分的な対象や課題に対して、しかも情況を解説するための論議として引用されるにとどまっていた点に限界があった。いわば近代化、工業化への根本からの鋭い批判として、社会変革までを迫るものではなかったのである。
しかし、いま地球環境問題の根源を深く追求してゆくと、正にランドスケープの本義でもある「土地・自然性(land)」と「全体性・総合性(scape)」の欠如した建築・土木技術への批判なくして、新しい世紀の地球社会の創造はあり得ないことがわかる。
いやこのことは、造園界にも強い反省が求められる。造園建設業の会社名に○○造園土木というのが流行した時期があったが、造園界も又、鉄とコンクリートの巨大空間づくりへ邁進し、材料も世界中から日本にかき集めた時期がある。造園コンサルタント界も又、建築家以上に建築的な造形や広場作りに向かったし、巨大な疑似自然空間づくりに何のまよいも感じてこなかった。
元来、水と緑の空間創造の任にあると自認してきた造園界こそ、その背信的行為を深く反省すべきかも知れない。
近代以前の、実に自然共生・環境共生・地域共生的でなおかつ、生物多様性に富んだ環境空間創造技術者集団として、地域に貢献してきた日本の作庭家・造園家の'こころとわざ'をいま一度、再発見・再評価すべきである。
日本の伝統的ランドスケープを概観すれば、そのことがよくわかる。河口部に賑やかな都市(津)をひろげ、その周囲の平野に農村を配置し、農村の野菜と都市の人糞が循環していた。里山の薪炭や落葉も町や村の生活と農業生産の間で共生していた。低密度居住の山村生活者はマタギとして自然林の動物と共生し、他方で棚田の貯水力が川下の農村地帯を守っていた。
これが農村的スケールになると、そのサイトプランには、土地土地、敷地敷地の土質、日当たり、風当たりなどに応じた「農」の生産と生活のためのランドスケープデザインが施されていたことがわかる。私のルーラル・ランドスケープ・デザインの手法は、このような「農」の技法、「百姓の環境デザイン」を、現代都市の自然共生・環境共生モデルとしようという提案であった。
地形、植生、水、日照など自然条件を踏まえたエコロジカル・プランニングは「農」の常識であった。当然、大地密着型の環境デザインは土地の多様性と対応したダイバアシティ・ランドスケープとなる。バロック都市の軸と権力の権利とちがって、大地の多様性が構成原理になっていたのである。
日本庭園は、この原理の凝縮形である。山、滝、流れ、原、島、岬、海など多様な場所性と、これにふさわしい樹種、地被、添景づくりがしつらえられ、陸生、水性、草性の生き物も共生した。狭い人為空間に多様な自然と生き物と景観を再現したのが日本庭園だ。多様性を担保したまま、ひとつの物語で統一し、「美」にまで高められている。正にバイオダイバアシティ・ランドスケープのテキストと言ってよい。(完)
| 都市、緑と農 「農」が担う地球の将来 | 東京農業大学出版会 |
| ルーラル・ランドスケープ・デザインの手法 農に学ぶ都市環境づくり | 学芸出版社 |
| 造園を読む−ランドスケープの四季 | 彰国社 |
| 公園作りを考える | 技報堂出版 |
| 風景デザイン 感性とボランティアのまちづくり | 学芸出版社 |
| アメニティ・デザイン | 学芸出版社 |
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